3G at 東京ビルボード!!2011/08/25

 会社の夏休みは12~16日だったのだが、このほかに2日、9月までの好きな日に夏休みをとることができる。
 25日は東京ビルボードで、チャボ、吉田健、村上秀一のユニット=3Gのライブだったので、私は夏休みの1日をこの日にとることにした。
 普段は、チャボのライブは、友人のKさんと来るのだが、用事があるからパスすると言う。他のライブ会場はいざ知らず、ビルボードや横浜のサムズアップなど、食事も食べられるスペースでのライブは、1人では、ちょっと気後れがする。というわけで、ドラムを一緒に習っているT.I.に声をかけてみたところ、行ってもいいわよ、と言ってくれた。ありがとー!!

 17時に、ミッドタウンのTSUTAYA(本屋)でT.I.と待ち合わせ。B1の1階にある妻家房で夕食を食べた。
 私はビビンバとチヂミのセット=1350円。日本では、石焼きビビンバが人気だが、私はあっさりした普通のビビンバが好み。このチヂミとのセットメニューは、普通のビビンバのほうだけらしく、ラッキーだった。


 

 これまで、クリスマス近辺の土日に、このB1の飲食スペースを訪れたときは、かなり混んでいる感じだったが、平日の夕方はさほどでもないらしい。カウンター形式の場所だが、ゆっくりとおいしくいただくことができた。

 ビルボードでのライブは1日2回。ビルボードに来るのはこれで3度めだが、これまではいつも、2ndステージだった。が、明日は金曜日で会社がある。なら、やっぱり1stステージかなぁ、と思った。直前に、ネットでチェックしてみたら、1stステージのほうがチケットが売れていた模様。みんな、考えることは同じだったのかも。笑
 最初にビルボードを訪れたときはサービスエリア、2度目のときはDXシートだった。が、今回は、別にチャボのファンでもないT.I.が一緒ということもあり、初めてカジュアルエリアの席にしてみた。6000円で1ドリンク付きは安い! が、カジュアルエリアはセルフサービスで、カウンターでドリンクをもらう形式で、メニューもサービスエリアやDXシートとは違っていた。私は、昨年のライブのときに食べたデザートの盛り合わせをオーダーしようと目論んでいた私ので、ちょっとがっかり。グラスもガラスではなく、プラスチック製。笑 、あ。6000円で、ドリンク代込みですからねー。ははは。
 というわけで、私はカンパリオレンジをオーダー。



 ステージは19時から始まった。 「俺たちは5月にデビューしたばかりだが、既にオリジナルが11曲もある。だが、今回は、ビルボードから、『全曲カバーで』という生意気なオファーがあったので、カバーでやることにした!」とチャボ。「俺も健もポンタも、みんな英語は得意なんだが、英語ができないお前らのために、日本語でやってやる!!」とよく聞くチャボのセリフだが、そうと知りつつ、会場で笑いが起こる。

 渋谷で行われた3Gのファーストステージでは、吉田健が進行役を務めていたのだが、今回のライブではチャボが進行役だった。ぶっちゃけ、チャボのしゃべりのほうがおもしろい。
 おじさん3人だけじゃ味気ない、というので、今回は、アリサという女子が、ギター&バックコーラスで助っ人に加わっていた。ステージに花を添えている。
 
 私は、特定のアーティスト以外、洋楽はとんとダメ。3Gの選曲も、すげー流行りましたって感じの曲ではなかった(十数曲演奏したうちの2曲が、リンゴ・スターの曲だっていうんだから、わりと渋いでしょ? 笑)ので、残念ながら、曲名がわからないものが多かった。が、どの曲も、チャボが日本語の歌詞を付けたことで、しっかりと3Gワールドになっていた。
 
 4曲目は「トワイライト」。チャボが別のステージでもやっている曲だが、この日の演奏はすごくよかった。

 チャボが「まだ、雨降ってるの?」と問いかけたのに会場から返事がなかったので、「シーン」、なんて自分でフォローして、「雨だったらやろうと思って用意してきた」と言ってギターを弾き出し、演奏し始めたのは、ストーンズの「Rain Fall Down」という曲だったらしい。ギターがとっても印象的な雨の歌であった。

 そして、「セキュリティー」。歌詞がとってもいい。

 最後は「花はどこへ行った」。
 ♪きれいな花はどこへ行った きれいは空はどこへ行った♪
 本当に、放射能から逃れて、きれいな空や土地や花が戻ってくるのはいつのことだろう。20時10分。
 
 そして、アンコール2曲。
 最後の曲は、ノリのいい、CCRの「PROUD MARY」であった。
 3Gのステージは、メンバーがみんな還暦組ということもあって、今後も、おそらく長くて2時間程度なのだろう。
 そうであるなら、1ステージが1時間半のビルボードのステージは、3Gのライブにぴったりはまるのかもしれない。また、ここで、3Gを見たいな、なんてことを思った。


 

ジョン・レノン、ニューヨーク2011/08/28

 土曜日、恵比寿の写真美術館で「ジョン・レノン、ニューヨーク」を見た。
 チャボ(仲井戸麗市)のFCから、この映画のパンフレットにチャボの対談が載っている、という連絡が来て、そのときは、ふぅん、そうなんだー、と思っただけだったが、だんだんと映画が見たくなってしまったのだ。
 じゃぁ、3Gのライブの前に見に行こうかなー、と、前日は張り切っていたのだが、当日になったら眠たくて、行くのがとても億劫になってしまった。今日はパス!! 
 というわけで、結局、渋谷に行くついでがあった土曜日に、足を伸ばしてみることにした。

 映画の予備知識はまるでなかった。
 映画を見たら、ジョンとヨーコのことも、ほとんど知らなかったことに気がついた。ドキュメンタリーだけれど、ヨーコのナレーションを聞きながら、2人のドラマを見ていた気分だ。

 ヨーコを好意的に迎えてくれたロンドンの人々は、彼女がジョン・レノンとつきあい始めてから豹変し、ヨーコは避難の的になったという。
 「醜い人を醜いという新聞なんてあるかい? 彼女は全然醜くなんかないけど、ロンドンの新聞はそんなことを書く。信じられない」

 そして、2人はニューヨークへ。
 「ニューヨークの人はクールでいい。普通に公園を歩けるし、買い物もできる。たまにサインをくれ、と言われるけど、それもまたうれしいよ」
 が、ジョンが政治的な活動にかかわり始めたのを機に、アメリカ政府はジョンを国外に退去させようと躍起になる。長い、長い闘いだったらしい。

 永住許可はおりないし、ライブレビューも悪くて、ある日、ジョンはやけになってしまって、浮気をしてしまう。
 ヨーコに土下座をして謝るが、許してもらえず、ジョンはロサンゼルスに旅立つ。1年間ぐらい別離。
 毎晩、酔っ払ったジョンは、どうしたらヨーコの所へ戻れるか、そんなことばかり話す。酔っ払って正体をなくすと、決まって、ヨーコ、ヨーコと呼んだという。

 エルトン・ジョンとライブで共演。ヨーコがそこへやってくる。
 「困ったことに、まだ彼を愛しているって思ったの」
 2人は元の鞘におさまった。

 1975年。ジョンと同じ誕生日に、息子のショーンが生まれる。ニクソン大統領は辞任し、アメリカ国外への退去命令は破棄。

 ショーンを育てるのに専念するジョン。パンを焼いたりもする。

 育児が落ち着いたころ、40歳になったジョンはアルバム「ダブルファンタジー」をリリースする。「僕は30代や40代の同世代の人に歌いかけるんだ」

 映画館にパトカーのサイレンが鳴り響く。
 ジョン・レノン暗殺。

 なんか、リアルタイムで、ジョンとヨーコの物語を見たような感じ。
 2時間弱の時間があっという間に過ぎた。。。

ペコちゃん軍団!2011/08/30

 先月、飯田橋に事務所を開いたデザイナーに会いに行ったとき、手土産にペコちゃん焼きを、と思ったのだが、不二家がみつからず、結局、デザイナーへの手土産はPAULのレモンタルト1個になった。(ちなみに、不二家は、見逃すはずがないほど、わかりやすい場所にあるらしい。なのになぜ?笑)
 会社に戻って、「ペコちゃん焼きを買いそびれた」、と残念そうに言ったのが記憶に残ったらしく、そのときの同僚の1人が、同じデザイナーの事務所に赴き、ペコちゃん焼きを買ってきてくれた。しかもたぁーくさん!



 もちろん、私にだけ、というわけではなく、周りの人々に、なのだが、こーんなにたくさんだ。
 私なんぞは、買ったとしても、せいぜい6個のつもりだったので、この箱にひしめいているペコちゃんを見て、本当に感動してしまった。
 カスタード、チョコレート、カフェオレ、あずき・・・。見分けがつくように頭に付けられた目印がなんだかリボンみたいでかわいい。
 ペコちゃん焼きの言いだしっぺが私だったからだろう。その同僚は、早い順番で私にペコちゃん焼きを持ってきて、選ばせてくれた。
 じゃぁ、カスタードを。。。


 そして、しばらくして、また、「よかったらもう1つ・・・」と言ってくれた。ほんと? すかさず、あずきをいただいた。



 かなり有名らしいが、ペコちゃん焼きを食べたのは、10年近く前、神楽坂近くに住む友人に連れられて来たときが初めてだった。
 これが人生2個目のペコちゃん焼き。人からもらったせいかな? たくさんのペコちゃんを見たせいかな? 今度のほうがうれしくて、とっても感動ものだった。